――まずはお二人が感じる、『ユア・フォルマ』という作品の魅力を教えてください。
小野
AIが発達し、僕たちの生活にも馴染みつつある現代で、この物語は相当現実味があるなと第1話の段階から感じていました。人間とロボットがどう接し、日々の生活の中でどう交わっていくかということも突き詰められているので、すごく考えさせられる作品だなと思います。
福山
「人間とアンドロイドのバディで事件を解決していく」という部分だけを切り取ると過去にも触れたことがある設定のように思えるのですが、自分たちがパンデミックを経験し、かつ、AIの問題がいろいろと話題になっている今の時代にこの作品が作られたと考えると、新鮮な面白さを感じますね。アミクスが自分の記憶や記録から思考した結果は人間の人格とどう違うのかとか、そんなことを考えさせられながらサスペンスとしての物語が進んでいくという、新しい体験をさせてもらえる作品だなと思います。
――お二人は、ハロルドとソゾンというキャラクターにそれぞれどんな印象を抱いていますか?
小野
ハロルドはアミクスの中でも特別なモデルで、人間と変わらないというか、なんなら思考回路や反応が人間以上に人間っぽい存在で。僕自身もロボットを演じていることを忘れるぐらいでした。ディレクションでも言われたんですよ、「“人間ってこういう反応するよね”というものを表現してください」って。そこがハロルドの一つの魅力であり、怖いところでもあるかなと思いますね。あと、日本人にはあまりない、海外的なお茶目さや紳士的な振る舞いによる人間たらしなところも、魅力の一つですね。その中で、ソゾンの事件に対する思いを裏に持っているところもまた、彼の魅力をより深める要素になっているのかなと思います。
福山
ソゾンはハロルドとは真逆の男ですよね。ハロルドはアミクスの中でも特別なモデルで、誰よりも人間らしい振る舞いができるけど、それに対してソゾンは組織の中でまったく上手く生きられない人間で。ただ、プライベートでは普通にできているので、別に何かが欠落しているというわけではなくて、おそらく社会の中での「こうするべき」みたいな規範が苦手な人なんでしょうね。そういった、悪い意味での人間臭さがソゾンの魅力かなと思います。
僕から見たハロルドは、さっき賢章も言っていた人たらしな面が、ソゾンの何らかの感情を刺激するのかもしれないなという気がしました。車の中で「俺はお前に、ふらちなアミクスになれとは言っていない」と言うシーンもありましたけど、きっとソゾン的にはバディとしてハロルドを導きたいみたいな気持ちはあるんだろうな、と。「すごい素材を見つけたから、ちょっと育ててみようかな」と思い始めた一匹狼のプレーヤーといいますか(笑)。
小野
初めてハロルドと出会ったとき、たぶんソゾンは「こいつ、相当便利だな」と思った気がしますよね。見たものをメモリとして残せて、自由にデータとして取り出せて、さらに頭も良くて。自分の話に付いていけるハロルドに対して、ソゾンは「自分と同じレベルの相棒と出会えた」という感覚だったんじゃないでしょうか。
僕から見たソゾンは、すごく人間っぽいなと思いますね。ハロルドを演じている身からすると、すごく人間らしく演じているのに、不器用で人間関係が露骨にうまくいっていないソゾンのほうがどうしても人間っぽく見えるということが面白かったです。
――ハロルドの現在のバディであるエチカに対しては、小野さんはどんな印象をお持ちですか?
小野
より難しい人が来たな、と(笑)。ただ、エチカのほうがより、ハロルドに人間らしい感情を生ませてくれる存在なのかなと思います。お互いに相手を大切に思っているのに、ちょっとしたすれ違いですぐに関係性が悪い方向に行ってしまうということが、エチカとはよく起こるので、「お互いに大切に思っているのに、なぜこううまくいかないんだろう」と悩むきっかけになる存在だな、と。話数が進むごとに、ハロルドの中でエチカの存在がどんどん大きくなっていると感じますね。
――第9話のアフレコでお二人が意識したポイントは?
福山
第9話はオリジンストーリー的なエピソードだったので、エチカとハロルドという現バディとの対比、そして、誰よりも人間らしく振る舞えるヒューマノイドであるハロルドとの対比、そこをどう表現できるかということを一番に考えていましたね。なので、このドラマでの立ち位置の中で自分はどう演じたいか、賢章の声を聞いて自分のアウトプットをどう持っていきたいかを考えた上で、ソゾンという人物の見え方について、尾崎隆晴監督たちとのディスカッションをしていきました。
小野
ハロルドがもともと持っている“社交的で、人間らしく振る舞っていて、人間を喜ばせるような寄り添い方ができるアミクス”というところをベースにしているのは第8話までと一緒なんですが、第9話ではソゾンと過ごした時間がけっこうスピーディーに描かれていくので、その時間経過はかなり意識していました。出会ってからだんだんと距離が変化していく様子がうまく表現できたらいいな、と。あとは、ハロルド、スティーブ、マーヴィンが三人一気に出てきたときは地味にドキドキしましたね(笑)。
福山
三人一気に収録していたんだよね。あれは横で見ていても僕も面白かったです(笑)。あと、個人的な感慨で言うと、『ユア・フォルマ』の収録スタジオは、初めて賢章と一緒に仕事をしたスタジオだったんですよ。そういうところにも「時間って面白いな」と感じましたね。
小野
もう17年前くらい前ですよね。その収録の最終回が、僕の高校の卒業式の日だったんですよ。
福山
もうそんなになるんだ⁉
小野
僕はそれも感慨深かったです。あと個人的には、第9話のアフレコはなんだか第1話に近い感覚でしたね。『ユア・フォルマ』は新しい事件が起きるたびに環境が変わるぶん、常に緊張感を持って収録に臨める作品だったのですが、その中でも第9話は、収録メンバーも、ハロルド自身の状態も、特にガラッと変わっていて。すごく新鮮さを感じる収録でした。
――第9話で印象に残っているシーンはどこですか?
福山
やっぱりソゾンが惨殺されるシーンですね。昨今ではこういったものを描くこと自体がなかなか少なくなっていて、演技にしても「観ている人たちが怖く感じてしまうから、あまり痛そうにやらないで」という演出が来てもおかしくないんです。その中で、恐怖や死に瀕する苦痛といった部分に踏み込むことを許容してくれたのは、演じる上ではとてもありがたいなと思いました。
小野
あのシーンはやっぱり僕も印象的でした。目の前でああいう光景を突き付けられたハロルドがどういうことを考えたのかとすごく思いましたね。実はハロルドを演じるうえでけっこう苦労したのが、「感情の尾を引かない」というところなんですよ。人間だったら何か嫌なことがあったらしばらくそれを引きずるけど、ハロルドはそうじゃなくて、それが彼と人間の決定的な違いになっているんです。その中で、あの衝撃のシーンのあとの立ち回りはどうすればいいのか、一番気を使った部分でした。それにしても、あのシーンで流れていたクラシック曲はトラウマになりそうですよね……。
福山
ね。でも、あのシーンをマイルドにせずに描いてくれたのはとても重要だとは思いますね。多くの人に見てほしいという思いはあるんですけど、あれを真正面から描くことでしか伝えられないものもあると思うので。
小野
そうですね、スタッフの皆さんの覚悟を感じた気がします。
福山
あと、「帰るぞ、ハロルド」というセリフを録るときに、スタッフの方に「このセリフはこれから何回も出てくるんで、よろしく頼みます」と、謎にプレッシャーをかけられたのも印象に残っていますね(笑)。
――ソゾンとの出会いによるハロルドの成長を感じましたが、お二人が声優として活動されていく中で成長したなと感じたエピソードをそれぞれ教えてください。
福山
成長、か……難しいですね……。僕は18歳でこの業界に入ったんですけど、20歳以降にやった役って今でもほぼ再現ができるんですよ。でも、10代にやっていた役は再現できないんです。テクニックはゼロで、その当時の自分という存在だけでやっていたから。今振り返るとそれが尊く感じられたりするんですよね。それがなくなったときがおそらく職業人としての成長なんだと思いますが、そのぶん失ったものもあるな、と。
小野
僕もそれは感じますね。常に「どうしたらいいんだろう」と悩んでいるので、自分自身では成長しているという実感はなくて。もちろん成長してはいると思いますけど、この歳で言ったら“成長”というより“変化”なのかなと思います。
福山
でもね、自分でもびっくりするような感覚の変化が起こったりもするよ。僕は、今の賢章ぐらいの年齢のときに芝居の仕方がガラッと変わっていて、それからのほうがより仕事が面白くなった。
――それは、どう変わったんですか?
福山
若いときはもっと固かったんですよ。「このシーンは絶対にこうやるぞ!」というようなこだわりに固執していて。でも、それを「どうでもいい」と思うようになったんです。それよりもしなやかさみたいなものを求めるようになったといいますか。
小野
なるほど。それでいうと、僕はたぶん福山さんとは真逆の感じでずっとやってきていて。あまり固さを持たずにやってきたから、逆に今はそれに悩んでいるんですよね。
福山
たぶんそれぞれの声の仕事の出発点によって、それを考える順番が違うのかもね。賢章は子役時代からやっていて、声の仕事だけじゃなく、舞台や映像もオールでやってきたから、求められるものがまた違うじゃない。でも、続けていくと必要なものって結局そんなに違いはないというか。
小野
そうですね、その悩みはきっと、ずっと尽きないんだと思います。他の人の演じる姿は魅力的に見えるけど、そこと自分がやってきたものとの折り合いをどうつけるか。行ったり来たりして一歩ずつ身に着けていくしかないのかなという気がしますね。
――ありがとうございました。ちなみに、もしお二人がエチカのように誰かの機憶にダイブできるとしたら、誰のどんな機憶を覗いてみたいですか?
小野
僕は絶対に知り合いにはダイブしたくないなって思います。知られたくないと思っていることは絶対あるだろうなと思うので。なので、ダイブできるなら、歴史上の人物がいいですね。
福山
例えば?
小野
やっぱり織田信長がいいです。本能寺の変の真相を明らかにしたい(笑)。
福山
僕もほぼ同じだなぁ。歴史の人物に、織田信長を選ぶかどうかだけの違い。僕の場合は、歴史上のいろんな権力者の記憶を主観で見てみたいです。歴史上の大きなトピックスについて、「その人がどういうメンタリティでそんなことをしたのか」ということを情報として得られるのなら、それはぜひ見てみたいですね。
――最後に、今後の展開を楽しみにしている皆さんへ向けてメッセージを!
福山
どの作品も当然そうではあるんですが、この作品は特に、人によって見え方が変わる作品だと思います。例えば、若い人のほうがAIに対する考え方がより柔軟だったりするでしょうし、“人の記憶を見る”ということへの興味の有無でも、捉え方が全然違う気がします。その見え方の違いで、この人間ドラマがどう見えて、どの世代の方がこの作品をどう楽しむのか。作品を送り出す側としては、それが非常に興味深いです。多くの方に観て、考えていただきたいと思っていますので、引き続き第10話以降もお楽しみください。
小野
アニメ『ユア・フォルマ』はハロルドとエチカが既にバディを組んだ状態からスタートしているので、もしかしたら初見の方には想像の余地が多い作品かもしれません。その中で、9話までついてきてくださっていると思うので、これからも何が起きても大丈夫だと信じています。第9話ではいよいよハロルドの過去が明らかになり、ソゾンの事件が今後にも繋がりそうな匂いがしてきました。この物語がどう転んでいくのか、どうか最後まで見届けていただき、自分が何を感じるのか、いろいろと考察していただけたらと思います。